農業のイメージを変えるスーツ農家 サイトウキヨトがつくる「家福来米」

スーツを着て農業する齋藤聖人。 彼がつくる「家福来米(かぶらまい)」は、食べるお家に福が来るお米。

雛人形は元々紙だった?!

おばんです!!!

本日3月3日は『ひなまつり』でした!

ブログをご覧いただいている方の中には雛人形を飾ってお祝いされたかたもいらっしゃるかと思います。

僕は本日アルバイトだったので先ほど帰ってきたのですが…

ちゃーんと奥さんがちらし寿司を作って待っててくれました!!!

いやー嬉しいですね!!!

勿論酢飯の米は齋藤家のコシヒカリで、炊飯モードを『寿司モード』にセットしたので一段と美味しかったです!

という訳で、そもそもひなまつりとはなんぞや??

と思ったので調べてみますと…

ひな祭りは、古代中国では季節の変わり目は災いをもたらす邪気が入りやすいと考えられていたため、3月上旬の「巳の日」に水辺で穢れを払う習慣「上巳節」に由来すると言われています。

これが日本に伝えられ、平安時代、巳の日に草や藁、紙で作った人形(ひとがた)で自分の体をなでて穢れを移し、川や海へ流すようになりました。

人間の代わりに人形が厄を引き受けてくれるという身代わり信仰です。

今も地方に残っている「流しびな」はこの流れを残していると言えます。

ここに、平安時代に貴族の子供たちの間で盛んだった人形遊びが融合。

人形がどんどん発展し、立派になってくると、ひな人形は流すものから飾るものへと変化しました。

上流階級で今のようなひな壇飾りが完成し、江戸時代に「上巳の節句」が五節句の一つとして、5月5日の「端午の節句」が男の子の節句であるのに対して、3月3日の「上巳の節句」を女の子の節句と定められたことで、娘の厄を引き受けてくれるひな人形はさらに豪華に、美しくなっていったのです。

こうして今では、女の子が産まれるとひな人形を用意して、健やかな成長と幸せを祈り、素敵な女性になるよう願いを込めてお祝いするようになりました。

という訳で長くなりましたが、実はひなまつりの雛人形の起源は紙人形だったのであります!

そしてひなまつりといえばかかせないのが『ちらし寿司』ですよね!

これがなぜ食べられるようになったのかは、諸説あるのですが例えば…

・えび(長生き)、れんこん(見通しが利く)、豆(健康でまめに働ける)などの縁起の良い具を用いるから。

・ひな祭りと同じ頃に日本に伝わった「なれ寿司(現在の寿司の原型)」をお祝いの膳に用いたから。

・彩りが鮮やかで春らしく、女の子のお祝いにもピッタリだから。

・体調を崩しやすい季節の変わり目に、健康を願って、いろんな食材をバランスよく、たくさん食べるため。

・たくさんの食材を口にすることで、将来食べるものに困らないようにという願いを込めて。

などが言われています!

ここまで色々と書かせて頂きましたが…

今日女の子にとってのお祝いの日ということですね!!!

そうなると気になってくるのが子供の日。。。

それはとりあえず置いといて。。。

それにしても日本には実に沢山の年間行事がありますよねー!

そしてその歴史を紐解いてみると、とても面白いですよね!

皆さんもこの機会に是非、気になっていたことを調べまくってはいかがでしょうか!??

本日も最後まで読んで頂きありがとうございました!!!

それでは次回つづく!です!

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