農業のイメージを変えるスーツ農家 サイトウキヨトがつくる「家福来米」

スーツを着て農業する齋藤聖人。 彼がつくる「家福来米(かぶらまい)」は、食べるお家に福が来るお米。

日本9000年の蕎麦歴史!!!

おばんです!!!

まず最初に、昨日のブログは夜の10時頃アップしたのですが、TwitterFacebookとの連動がうまくいってなかったようで…決してサボった訳ではございませんので、是非ご覧下さい!

というよりもご覧頂いた方が今日の内容にすんなりと入っていけると思います。。。

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そんな本日はさっそく、『蕎麦の歴史』について少々書かせて頂きます!笑

まず最初に、『日本にはいつから蕎麦があったのか???』ですが…

ズバリ!

最近の研究ではなんと9300年前の、高知県の地層から『蕎麦花粉』が見つかったそうです!!!

9300年前というと…縄文時代にあたります!

今日蕎麦を召し上がった方もそうでない方も、これは驚きですよね!!!

『そんなに昔から蕎麦をズルズルとすすっていたのか~』と思われた方はちょいとお待ち下さい!

そもそも蕎麦は中国が発祥地だそうで、日本にはそれぞれの地域に中国・朝鮮・シベリアから伝来したのですが…その当時の蕎麦はまだまだ今のような細く長い麺ではではなく、蕎麦の実をそのまま食べたり、蕎麦の形状も太く短い物だったそうです。

しかも中国から挽き臼が伝来するまでの日本には、摺り臼(上下の石で摺り潰すタイプ)や杵で搗く搗き臼しかなく、蕎麦のみを製粉にすることが容易でなかったため、今のように主食として食されていた訳でもなかったのです。

そうして鎌倉時代から始まったそば粉の大量消費は、様々な工夫を経て、戦国時代に至り、ついに今現在の蕎麦「そば切り」に行き着きます!

そば切りとはその名の通り『蕎麦(大きい団子のようなもの)を薄く延ばし、細長く切る』事です!

現在そば切りの日本最古とされているものは、天正二年長野県木曽郡大桑村にある定勝寺に祝いの品で納められたものと言われておりまして、この時現在のスタイルの蕎麦が登場したとされております!

という訳で、私たちが今何気なく食べているお蕎麦の歴史は450年とまだまだ短いものですが、その短い歴史の中でも日本の技術のおかげで今日ではカップ蕎麦や即席蕎麦として、身近な存在に感じることができるのであります!

そしてこれから迎える年末に食べるお蕎麦を『年越しそば』と言いますが、これは江戸時代に生まれたとされる習慣です。

・そばは、切れやすいので一年のいやなことは切り捨てたいと願って年越しに蕎麦を食べた

・金細工師が散らかった金粉を集めるのに、そば粉を使ったので、そばは金を集める縁起物だとい言って年越しに蕎麦を食べた。

・そばは健康に良いという説が流行ったから年越しに蕎麦を食べた。

・ソバという植物は、風で倒れてもすぐ起き上がるので、そのたくましさにあやかったから年越しに蕎麦を食べるようになった。

などといわれは様々ありますが、中でも農家としてはやはり最後のフレーズが気になります!

そもそも蕎麦が栽培されるようになった経緯は奈良時代前期の女帝だった元正天皇が出した詔の中で、『日照り続きで米の収穫が見込めないため、日照りや冷涼な気候にも強く、また栽培する土地もさほど選ばない蕎麦を作りなさい』と栽培が推奨されたことにあります。

つまり当時の米農家にとって蕎麦は、凶作の時も収穫が見込める救世主だったのです!

そんな感謝の気持ちももちながら、今年も無事に年越し蕎麦が食べられたらいいなと思います!!!

因みに齋藤家では、暖かい蕎麦は殆ど食べず、断然もりそば派です!笑

本日も最後まで読んで頂きありがとうございました!!!

それでは次回つづく!です!

※このブログは齋藤聖人の名前でFacebook等でもアップしています。

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